ちゃばたけん。

凸凹ありつつも、それなりに生きてます。

書き方を覚えて居るだろうか

笑えない時は笑わないで。

笑いたい時があったらいいなあくらいに考えて。

自分がしたくないと思うことにだけは忠実で、でも無理はしないで。

結局自分自身が何をしたいのかが今も今でもわからなかったりします。


少しはきっかけやマシに感じるような出来事もあったにはあったのですが、それでもどうにも楽しくないに直面してしまうと何かが減った気分にもなります。

あの頃の自分はもっと単純な気持ちで自分を動かせていたようにも思ったり。

昔から何もかもめんどくさがって、高校科目は履修したものの、卒業という経験がほぼないほどに学校に通った記憶はないです。

勉強が嫌いだったわけでもなく、むしろその逆で好きな方だったのですが、それより先に音やら環境やらが全て面倒臭いとしか感じなくなって、不登校の人生を突き進んだなと。

そんなことをふと思い出しては、今からでもどこかの何かの科目やらで卒業してみたいとは思ってしまいます。

やりたいことがあるとは思いつつも、何もかも面倒だ、やりたくない閉じこもっていたいとしか行動をとってない私には、できることなのかやれ!ということなのかの判別もつかず。


これがあったら生きていけるってものを、依存以外の形で持てたらいいのですが。

何が楽しくて何が嬉しくて、そういうのが一瞬ですり抜けてスカスカの心と醜いいでたちの自分を目の当たりにすると、もういいかなと何回か自殺は考えてきたんですが。

リストカットするのもバカげて思えてきて、痛い思いして得ることが何もなくなって、心にぽっかりと収まってたものもなくなってしまった。

そんな感覚に陥って、何度も自分を誤魔化すんですが、自分に罵声を浴びせることで自分に厳しくしたつもりの自分が、いつまでたっても許してほしいしか言っていなくて、自分のことなのに本当にどうでもよくなってきてしまうというか。


前々から破滅型の生き方ばかり選んで、その結果やら障害やらは体に残ったままなので、

このままふらっと消えられないかなとは常日頃思うのですが、どうしても良い方向に持って行きたい自分もいて、ただそれが上部だけで行動しないのがまた結局ループの元になっています。

なんで少しも生きることに執着できないのか、その前に理性が飛んで真っ白になってしまうのか、今日も今日とてそんなことばかり考えてしまいます。


本当は、少しでも良いものに触れて吸収するのが吉なんでしょうけれど、何かを自分の頭に入れるのが、もう凝り固まった思考になってしまって拒否してしまってます。

私も何もかも忘れてどこかへ飛び出してしまいたい。