ちゃばたけん。

凸凹ありつつも、それなりに生きてます。

他の人の生き方って大概なんとなく

自分が発達障害だとわかったのは一年前くらい。

ADHDの診断のみ受けたけれど、どうやらそれ以外もあるなと、汎用性だろうなと言葉数の少なさと、物覚えの悪さ(文字を間違えて覚えてしまう)がある。

ただ、人の気持ちがわからないかと言われる点では、今は沈黙した方がいいとか、相手が何を求めているかのコミュニケーションは取れている。

最終的に、それを判断するのは医師だったり友人だったりするわけだけれど、友人間ではよほど親しい人じゃない限りクローズなので、言葉数は少ないとのこと。


どうにもこの人は疲れるといった関係になって終わった人の話になる。

その人は思ったことや感情のブレーキが効をかけることなく、友人であるからの一点で甘えや怒り、八つ当たり等を多くぶつけてきた。

仮にも30代の女性なのに、大人気ないなくらいに思っていたけれど、自分にとって不都合なことも怒りの感情も肯定しなければ友人である私が怒られるといった図式になっていった。

いいよいいよとその人が怒らないよう過ごすこと。不満や一方的な言葉の吐き捨ての対象にならないようにするにはどうしたらいいか悩んでいた。

結局は私から離れたいと言った際に、病気のせいにするな。頭がおかしい、私の母親もお前のことを頭がおかしいと言っている。

私が怒るのはおまえがそういう性格だからだ。私は一切悪くない。LINEで電話をかけさせろ、言いたいことがたくさんある。

等…ツッコミきれない発言が出てきて終わったのだけれど。


正直、発達障害じゃなくても人とうまくやれない人はいるもんなんだなと思った。

少なくとも、その人が批判的なものや攻撃的な内容、重たいといった観点で他の人から縁を切られてきたのは知っていた。

だったらそういったものを止めればいいんじゃないか。私にとっても同じだと伝えて、なるべく甘えないよう気をつけると言われたこともあった。


けれど、友人という立場であっても、私とその人の求めていたものはかなり違った。

その人は自分の絶対的な味方で、否定意見は許さない、受け入れることができないから怒るんだろうなと思っていた。

実際に対しては病気のせいにするなと言いつつも、その人はずっと自分の病気やPMSを理由に当たり散らかすのを許してくれと言っていた。

そして、私が突き放したら性格を変えろとも。

それ以外だと私が勝手に見ているものに対してスタンスが違うからという理由で否定してくる。

つまりは、自分のことを棚に上げて話すタイプ。


私自身は、正直友達にそこまで求められないのが本音だ。

そして、その人に対する愚痴を吐きたかったのが一番だ。

そこまでべったりした感情を異性に伝えるかというのも怖く、夫婦間だとしてもリスクがありすぎやしないだろうかと。

あくまで私の観点だけれど、要するに友達に求めるものはやっていける距離感で、踏み込まず、踏み込みすぎずといった関係だ。

そんなものはみんな当たり前にあるのだと思っていた。


聞かれたくないこと、喋りたくないことを人に話すことも。

ある程度の年月の付き合いならなおさら、その関係性に亀裂が入るようなこと、自分の思いを強く肯定してほしいといったことは出さなくなるものだと思っていた。

けれど同時に、私以上に難しい人は存在するのだと思えた。自分を甘やかして欲しいとも求められるとだいたいは避けてきたけれど、避けられない理由は一応にあった。


私だって欲しいものに対する執着や、家庭内での感情をコントロールできているかと聞かれたら自信はない。

ただ、人に対して当たれるほどのエネルギーがあるわけでもない。陰湿な自分しかいない。

けれど、誰かに見られている場所で見当違いなこと、非常識ととらわれる発言、ネガティブなことを伝えるにはリスクが高すぎると感じている。

電車では誰が見ているかわからないし、TPOもわきまえなくてはと思う。

もちろんガチガチに礼節を守れるかといったら知識もない。対人関係で上手くやりたいと努力はしていっても、未だ自信はついていかない。


今もネガティブな発言はネットやニュースでも聞きたくないとは思う。

けれどそれ以上に素晴らしいものを見たら好きだと感化されたり、

楽しい話を語った方が自分は幸せだと思う。

もちろん、愚痴は一緒に怒ることはできないが、聞くことなら喜んで傾聴する。わかることなら返す。

友人は大切にしたいし、その人との波長や楽しい時間を肥やしにして生きていけたらと思う。

家族も同じく。


なので、結局はハンデがあったとしても生きづらい人は多いんだなといった結論。

スクランブル交差点

第二話はじまっちゃった

はじめからのカーナビは

あらぬ信号、進行方向

こっちの道から来たんですか?

いいえ、違いましたかね

つまらないすれ違い

人の多さより君のうつりかわり


再来のこどもは

夜をめぐっておやすみなさい

またいつか会えるわ

あなたのお母さんと

QEDみつけたの

DNAは関係ないって

そういって出迎えるつもり

だったのかしらとふりかえり


上映時間に間に合わないよ

きみがあまりにも突然に、辺鄙な場所で

ないて、ないて、ながれていったから

見おくるつもりなんてなかったよ

だって、振り向いてもらえないまま

違ったボクがここにいるんだ

人の涙より君のふあんていさ


最近のマイブームは

ムーブしてギグなクラシックを

賛美歌なんていつ聴いた?

期待した?なんて言われたっけ

鱗片を見つけたよ

凛とした少女だった

そういったおとぎ話

だっていいじゃないかって騒ぎ


ほんとに待ってたのは

あなたのすぐ近くで

叶えられたのなら、あなたは側で

笑っていないと、痛くて仕方がないの


さすらいはとても不思議で

街を離れて背にして手を振り

かげおくりみたいね

そんな昔のように笑いあえたら

二人を見送ったよ

行き着く先を知らない

ふわりと浮かんだ心をね

タイミングが悪かった

巻き込んでしまってすまないね

たまらなく気分が悪い

どうして今日に限って調子を崩すのか。

なんてことは人生のうちで何百回も起きて。

その度に、薬や食べ物摂取して補うも、

意識過剰、正義の心の自分が絶対に許さない。

そんなことを繰り返して、ああしにたい。

とりあえず、なんでもいいから楽になりたい。

そう思うようにはなったりもします。

わたしという個人は、どうしても極端に、

なんでも狭くしか考えられないなと。

いうか、そればかりしか考えてないなと。


不安で不安で仕方ない上に、

許されたいと思うのはどうしてなのか。

すごく応援していると思いたい俳優や、

アイドルがいたとして、その仲間内みたいな

そういった関係で揉めて仲間割れして、

しまったら、それを本人がどう思うか

わからないけれど、少なくとも私は

こんな感じの人間なので、

当たらなくても当然というか。

悪い思いに駆られるのは当たり前というか。

だって、それくらい覚悟していたはずなのに、

その人にとっての恥ずかしいファンで、

あることは隠せてないと思うから。

仮面をつけて、ステージと客席で。

ただひたすらに、演じているのは私もで。

いい顔していたい。これからもこれまでも。

最初から諦めた恋のようなもので、

その人の創るものを見ていたいと思いはして

でも、それも私という人間が、

仮面を剥がしたらどろどろで。

いくら身なりを整えようとしたって、

なにを努力して心を綺麗にしようとしたって、

やわくて、よわくて、ただのしったようなもの


ウェットな自分は一番嫌いで、

気分障害を引き起こしている状態は、

何一つしたくなくて、疲れてて。

誰も自分を肯定することに悩んでもいて、

せめて、一人で歩いていけるように、

薬も落ち着け方も覚えようとなにもかも

手を出しては失敗している気がする。

ダイエットしてたのになと思えば

吐き出して、蹴り倒してほしくなる。

よく思えない自分を、面倒で仕方ない

ぶつくさとなきわめく自分を

見捨ててさっさと消え去りたい。

はなしはほぼ皆無で。

心だけが、一人歩きするくらいなら。

さっさと終われよと、首根っこ掴んで

焼却炉にまとめていれて捨てるのに。

そんな、イメージばかりを繰り返す。