ちゃばたけん。

凸凹ありつつも、それなりに生きてます。

じしんがないです

SAN値が低い時に文字を書きに現れるものじゃないと思いつつも、普通に寂しくて何かしてないといやだから、何も固まってないけれど文字を書くのはありかと思いました。

ただでさえダメなのにこういう落ち込んでいる時は、グロ動画漁ってまたSAN値減らしにかかるんですが、あの心理ってなんなんでしょう。

拷問系とカニバリズムをよくみて気持ち悪くなって、何事もなく何かを食べたくなったりピアスあけたくなったりしていますが、見たものすべてに影響される性格なのがバカらしく思えてきます。

自分の中で何がダメで何が平気なのかはっきりさせたくなる時が一時期ありまして、よく自分の苦手なもの、嫌いなものを見にいっては痛い痛いと思いながらも沈んでいました。

けれど、不思議とメンタルやられてる人で時折そういう人がいたのも事実、ほぼ疎遠になるものですが。

薬の過剰摂取はダメで、思考もまともでも自分に対してのルールや何かが厳しくなると、自分を追い込む行為に走ってく人もいました。

上記の私がそうですね。

自分が自分でいられなくなる瞬間が怖くて、まだ怖さや痛さを感じられる行動をとってるなあと思うときがあります。

理性が働かないままだと怒り狂って自分を傷つけるか相手を傷つけるかのどちらかしか取れないなと。

だから、そういった状態に陥りたくないと思いつつもそういうものをみて、より底辺よりはマシだと見下したいんだろうなと。

そんな自分を見て失望して結局何もかも大事にできないで、約束すらも守れないのなら、生きてる意味って本当にあるのかなと毎回思います。


何かに救われたとしても、何かに幸せになったとしても、それ以上に感情がぐるぐる回転して、自分を肯定できなくなっていく。

そうなってしまうと、何もかもやりたい放題に行動したあとの自分にしか出会えなくて。

自分がやってることも、何もかも覚えているのに、自分がなにをしたいかがまるでないというのが悲しくて情けなくて恥ずかしい。

弱い人間なんだと思いしれば思い知るほど恥ずかしい上に、そんな自分を罵ってくれるかもしれない自分や誰かに期待して。

そうやっていつまでもいつまでも繰り返して、恥ずかしい以外の感情が持てないままです。