ちゃばたけん。

凸凹ありつつも、それなりに生きてます。

何事も34%くらいの力で

久しぶりにちゃんとした風邪を引きました。

検査薬ではコロナじゃなかったのですが、旦那に移らないか心配です。

発汗しない体質なので体温が上がらなく、関節痛と浮腫が出てる気がします。

体力面、やっぱり衰えてきてるのかなと思い、ちゃんと散歩や足腰動かそうと決意。


最近、物作りをする時間が楽しいです。

レジンをやりたいと思ってたので二液タイプに手を出し、ちまちま作ってます。

何かが出来上がるのって楽しいし、作品が残るのは嬉しいです。

母の日にはクラフトで籠作りをしたのですが、喜んでもらえてよかった。

物作りはデスク作業なので、本当はハマるなら運動の方がいいんだろうなと気づいていたとしても。

こればかりは誰の血なのか。綺麗に作れたり頭である程度考えて形になるのって、脳にはいいんだろうなと思ってます。


タイトルで書いた30何%くらいがっていうのは、自分が多少マシになった時に心した事というか。

何度か書いたり、戒めにしていたりするのですが、時折無鉄砲な正義感で支配されることがあるので、

やっぱり世間はそもそも変な人が多いというか、無関心で自分に対して時間を使う人が多いから、誰かのことを気にして生きないようにはなりました。

ノーと言えることは増えたのですが、人間的に寂しくなったなあとも感じます。

それくらい今の自分に余裕があって、余裕がない自分がいて、余裕のない他者とたまに当たって、自分が幸せを感じる人たちと関われる世界なんだろうなと。


だから、何か違うと感じたことを口にするのも本当はそんなに大切じゃなくて、

人は自分の考えを受け取ってくれるほど関心は持たないから、ただ自分の中で感情を起こす事は労力がかかってることなんだなと認識しています。

これは違うんじゃない?とか言い過ぎじゃない?とか、正しくても言って良かったことって少ないんですよね。

正論はただ正論なだけで、その後プラスになるかどうかは人の受け取り方次第。

もっというと、他人が抱いた自分像は他人からとって全てなので、それを全部正しているときりがないという。


本当は世界が優しくあったらなとか、みんなが人を思いやれたらとか願いはしますが、

事情がある人、余裕のない人たちにまで強いるのはやっぱり違うことで。

無理なものは無理で終わりな事が多いんですよね。

私もこの考えを捨てろと言われてもいきなりはできないですし。


『自分って存在だけは、消極的な理由でも好きでいた方がいい。

自分が嫌いだと嫌いという人間と1番深く近く付き合っていかなきゃならないからしんどいでしょ』


カズレーザーさんの言葉なんですが、これは自分に言い聞かせ続けたい話でした。

自分を好きというか、嫌いではないなと思えたのは私の場合、自分のいいところを見つけられたからなんですが、

ダメなところ見つけてまだ落ち込んだりもします。

ひろゆきさんのように世界の人はほとんどNPCのモブだと思い込めるほどにはなってないですが、

絶対それは楽だなあと思いながらにいます。

生きやすさを自分で見つけられてよかったし、凹む性質含めてそれなりに付き合っていけてるかなと自信を持ったところでした。


つらつらと心境を連ねた今日の日のこと。

欲張り出す視野


この頃安定しているからなのか、世界のことや日本のこと、政治や日本の経済に興味が出てきてできる範囲で漁っています。

最初はこんな大変なことどうして考えてこなかったんだろう、他の人もなんで考えてないんだろうと不思議に思っていたのが、

私も大変だった時期に全く考えられなかったから、そういう人の方が多いんだなと結論に至りました。


改めて、今日とて変わらない日々を過ごしています。

いつのまにか結婚して、結婚式終えて、少し仕事をしながらも自由な時間でゆっくりしての日々です。

散歩をしたり、読書をしたりもしたいけど一番したいのは考える時間をなくすことだったりもします。


人生の目標がのんびり生きたいに変わって、旦那さんと一緒にいるのが心地いいと感じる最近。

伝えたいこと、言語化したいことはあれどやっぱり口で喋るのは苦手だから、なるべく文字で書き表そう。

頭の中がいつもとっ散らかっているようで、どうでもいいことはどうでもいいと放っておく力もついてきました。


私はどうしても厳しかったりキツイ人だったり、思いやりを持たない人が苦手なんですが、そういう人と合わないなら極力接触しないで生きていった方が幸せなんだとも認識しました。

悪口やイライラした感情に触れるのは苦手なんですが、それは自分の中の理想とズレるから苦手なだけだったりします。


人に何かを言われたとしてもその人に干渉されて生きていくわけじゃないし、

人は自分の思考に一番興味がある生き物だから、他人を気にしていない。

そうある意味自分を社会のただの一人として見て、多数派にとってどうだろうかと考えるようになったりもしました。

感情的な判断をしやすいですが、誰かの視点に立って物事を見るのが楽しくなってきました。

ひさしぶりのハロー

そういえばブログをつけていたんだっけ。

二年前以上の自分の綴りを見て、

こんなことを考えてたんだと実感。


今は、誰かのことを考えるより自分のことを多く考えるようになった。

一人では生きていけないし、生きたくもないと思って努力して、

素敵な人と結ばれた。


人はどうしようもなく誰かのことを考えたりなんてしないし、

誰かの人生を自分の人生に響かせてまでは生きないって。

その唯一の例外に出会って、これから先どうなるんだろうと楽しみの中にいる。


今まではたくさんのことが気になって人の目ばかりを気にしてたんだな。

彼以外に出会う前から福祉を頼って、

理解してくれる人をたくさん頼って、甘えて、

自分の人生を生きやすくしていった。


友人じゃなくて専門的な人を頼ることは、

生きづらいをなくすことだった。

もちろん、自分が少しでも良くなるために利用したかったから、そこでもがんばったよ。


嫌なこともまだ覚えてしまっているけれど、

私が誰かにした嫌なこともその人が覚えているのかもしれない。

けれど、それでも自分の人生を生きないと。

誰かの人生との境界線を持ちながら、

自分らしく生きていく。


自由に生きたいけれど、ありのままで過ごすのはすごく難しい。


誰かと真剣に向き合うことはそうそうなくなってしまったけれど、

悩むだけのことを悩み続けたりもしなくなったけれど、

幸せになれる自分を信じて生きていこうか。